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西海岸労使交渉



2002年、 西海岸労使交渉の進捗が思わしくないのを感じた政府は
これ以上の停滞が米国経済を悪化させると強い危惧をいだき始めていた。

前年の9月11日、テロの影響で米国経済は大きな打撃をうけ景気の減速が心配されていた。
一年が経って、ようやく景気上昇の兆しが見えてきた矢先の港湾の荷役の停止である。

政府としてもこれ以上傷口を広げるわけにはいかない。
米国経済の停滞は自国だけにとどまらず、貿易相手国全てに影響を与える。

中国が世界の工場として生産能力を大きく向上させ、特に対米輸出において、日本、韓国、台湾に
追いつき、凌駕する可能性がまさに見え始めたときでもある。

中国は来るべき輸出大国時代の到来を予期して経済の中心を香港から、上海に移し、
上海港の大型改造の取り組みを始めていた。

日本も過度の円高を切り抜け、日本での生産だけでなく、アジア諸国での生産にシフトして
徐々に実績を上げつつあるときであった。

そうした勢いが米国の西側で労使交渉の決裂という思わぬ事態で頓挫する危険があった。
日本政府も米国の善処を期待した。

日本だけでなく、諸外国全てが米国政府ーなかんずく ブッシュ大統領の裁量に期待した。

こうした雰囲気を直に感じたのであろう、ブッシュ大統領が動いた。

大統領は国民の健康と安全が危険にさらされていると判断した場合に、施行できる
「タフト・ハートリー法」を発動した。

10月8日のことである。
ロックアウトは、10月9日解除された。

多くの関係者が安堵のため息を漏らした。

しかし、荷主や関係所管にとっては、その後の対応に忙殺されることになる。
荷役は開始されても本質的な事態の解決があったわけではない。

労使の溝は大きく開いたままである。
ロックアウト解除後も関係者にとっては、地獄のような辛い対応の日々が続いた。



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